「ウォーキング」参加懺悔録の末文
「スカイツリーを間近に見ながら
開局当初の東京タワーにまつわる話は
暑さの中の涼風でした」の
”まつわる話”が知りたいとの要望がありました。
ここで要約で披露しよう。
開局当初の中継放送は
東京タワーが直視できないと放送出来なかった。
事件事故現場からの中継はこの見極めを
的確にする職人技が勝負を決めた。
その達人たちは今も元気だという。
東京タワーに最初に情報(天気)カメラを設置したのは
NET(現テレ朝)だ。
発案は自宅の屋根に上ることも出来ない
高所恐怖症の報道・スポーツ課長江間守一氏(故人)だ。
氏は何事も「はじめて」にこだわるチャレンジャーだった。
ビデオも通信衛星も無かった開局からの6か月
山岳中継番組を放送して話題となった。
東京タワーにまつわる話は、
放送技術の進歩で姿を変えてきた番組制作の話になった。
一方では経営を支える視聴率至上主義が
視聴者に媚を売る体質を生み、
番組は低俗化し制作スタッフの心まで蝕んだという
経営体質にまで及んだ。
話は転々、
職場には減点主義と自主規制がはびこり、
制作現場からサムライ達が去っていった。
生活が安定すると「金持ち喧嘩せず」で
無難なものづくりから類似番組が増えた。
テレビ草創期は道具も経験も未熟で生活も貧しかったが
他局の真似は意地でもしない虚勢を張ったと息巻いた。
------こんな話がうだる暑さの清涼剤になったのである。
事務局長:新里